酷暑でも魅力満載 京都御苑


7/29(土)、冷泉家特別公開の見学には総勢25名の方々に参加いただきました。
その後、自由参加で「京都御苑公家旧跡ウォーク」へ。20名近くの参加者で38℃予想の中スタート!

京都の人は京都御苑=「御所」と呼ぶ人がほとんどかと思いますが、内裏、禁裏にあたる部分が「京都御所」で、東南にある「京都仙洞御所・京都大宮御所」とともに宮内庁管轄。京都御苑は国民公園として環境省の管轄です(ちなみに近年建設された京都迎賓館は内閣府管轄)。

今回の狙いは「時空を超えたウォーキング」。
幕末、現在の京都御苑内・周辺には宮家のほか約140もの公家屋敷が立ち並んでいたと言われます。冷泉家ほか一部を除き、ほとんどが明治天皇に従って東京に移住。
明治前期、荒廃した故郷・京都御所周辺を嘆いた明治天皇の命により「大内保存事業」として整備が始められ、周辺部の石垣が作られ、空き家となった公家屋敷は撤去され、広大な公園として生まれ変わりました。
緑豊かで多くの動植物も生息する巨大な公園。そして京都市民の憩いの場。
なかなか明治以前の旧観を想像するのは難しい状況ですが、現存する唯一の近世公家住宅・冷泉家を見た直後であれば、同家をベースに同じような屋敷が立ち並ぶ姿を思い浮かべることもできるのでは。また、そうすることによって、冷泉家が江戸初期に現在地に移ってきてから変わることなく(今出川通拡幅で少し北へ動いてはいますが)、旧地でいまなお家業である「和歌」と膨大な国宝、重要文化財などの文化財を維持・継承されてきたことの意味に、少しでも思いを馳せてもらえたらという思いでした。

今出川御門でそんな狙いや公家の家格など、事前情報をご説明しいよいよウォークへ。
しかしそれにしても暑い!!暑すぎるせいか鳥の姿は見えず、蝉の声もしません。

案内人がへばっていてはあきませんので、気合いを入れて桂宮邸跡へ。
初代は桂離宮造営で有名な八条宮智仁親王。正親町天皇の孫で後陽成天皇の同母弟です。八条宮→常磐井宮→京極宮→桂宮と改称され、明治前期に断絶した宮家です。
近年、京都御苑内の整備はめざましく、桂宮邸跡は庭園部分を中心に昨年5月から一般公開されています。
一見駐車場のように固めたアスファルトに線が引いてあるのは邸宅の間取り。屋敷の一部は明治になってから二条城へ移築され、現在本丸御殿として国重要文化財に指定されています。江戸期以前の宮家の建物はほとんど残っておらず、徳川ゆかりの二条城に現存するというのも歴史の面白いところです。

その後、明治天皇生誕地(中川邸跡)、御所の鬼門・猿が辻を経て近衛邸跡へ。保元の乱・平治の乱を勝ち抜いた藤原忠通の子・近衛基実を祖とする五摂家筆頭格の名門で、京都御苑の公家邸宅跡では最大級の広さです。敷地東側に庭園跡が保存状態よく残ります。
ここに最近できた綺麗な休憩所では、あまりの暑さにかき氷を食べる参加者もいらっしゃり、約30分の休憩となりました。

それから、明治天皇の皇后・昭憲皇太后(一条美子)の生家、一条邸跡を回って京都御所の見学へ。
最近は事前申し込み無しで通年公開がされており(なんと無料!)、随分とハードルが下がった印象です。
多くの外国人も来られており、承明門から紫宸殿のあたりが特に人気のようでした。荘厳な雰囲気は国境問わず伝わるんでしょうか。

御所を出たあとは、西園寺家の白雲神社、 花山院家の宗像神社、現在の皇室の祖である光格天皇ゆかりの閑院宮邸跡へ。時計は16時半。
同宮邸内部は最終入場が16時のため泣く泣く諦め、近年復元整備された庭園や長屋門を見学しました。

最後の締めは九条邸跡へ。大正天皇の皇后・貞明皇后(九条節子/くじょうさだこ)は同家出身で、いまのところ皇室に嫁いだ最後の摂家出身者です。昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮のお母様ですね。肖像写真を見ると、昭和天皇に瓜二つで驚きます。
さて、九条邸跡には、広大な池泉回遊式庭園の九条池の周りに、唯一残る同家遺構として江戸後期建築の茶室拾翠亭(しゅうすいてい)、鎮守社の厳島神社が現存。
同社の平清盛が建てたと伝わる唐破風鳥居は、京都三珍鳥居のひとつとして有名です。

随時離脱OKのゆるやかなウォークでしたので、ラストは総勢10名ほどになっていましたが、私の拙い解説に最後まで付き合っていただき、本当に嬉しかったです。また、冷泉家が唯一無二の存在であることを、私も再認識できました。参加者の皆さんにも、少しでもそう感じてもらえていたら嬉しい限りです。

広大な京都御苑をもっともっと知るには少なくとも半日は必要。
また機会があればご案内する場を作りたいと思います。


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