京都旧市街地の町衆にとって欠かせないお盆を迎える伝統行事を、大切な無形民俗文化財として実際に歩いて体感いただきたい。
そういう思いで今年初開催となりました。8/7〜9の、のべ3日間にわたりましたが、不思議なことにいずれも雨模様。それでも参加者の皆さんは熱心にご参加くださり、しっとりと濡れた石畳や軒先の情景の中で、伝統と落ち着いた雰囲気を味わっていただけたかと思います。
最初の訪問先は西福寺です。ここではご住職が「檀林皇后九相図」と「熊野観心十界曼荼羅」を前に、丁寧な絵解きをしてくださいました。九相図は、人の亡骸がやがて朽ちていく様を九段階で描き、無常の理を示すもの。衝撃的な場面もありますが、その背後にある「死を直視し、いまを大切に生きよ」という仏教の教えが強く心に残ります。
また、熊野観心十界曼荼羅は、迷界(六道)・悟界(仏界)・菩薩界・縁覚界・声聞界が描かれ、地獄から仏の境地まで十の世界が人の心に備わっていることを示し、「人の心は常に揺れ動く」ということを気づかせてくれます。人が死後に赴く六道のうち、地獄道、餓鬼道の描写は「ここには行きたくない!」と思わせるに十分でした。普段はなかなか目にできない仏教美術に直にふれることで、参加者からは「お盆の意味を改めて考えるきっかけになった」という声がありました。
六道の辻にある「幽霊子育て飴」で有名な、みなと屋さんを経て、続いて向かった六道珍皇寺では、希望者に実際に先祖の霊をお迎えする「六道まいり」を体験してもらいました。信教の自由があるため、デリケートな部分ではありますが、のべ3日間のほとんどの参加者が一連の手順で「お精霊さん」に臨まれました。
まずは高野槙を祖霊の依り代として求め、水塔婆に先祖の戒名を書き写し、迎え鐘を撞いて祖霊を呼び、水回向を行うという一連の流れです。京都では古くから、この作法を通して祖霊(精霊)をお迎えしてきました。
単なる見学にとどまらず、こうして体感することで初めて理解できる重みがあります。雨に濡れた境内で静かに手を合わせる時間は、日常から少し離れ、先祖とのつながりを実感するひとときとなりました。無形民俗文化財としての「六道まいり」の価値を、身をもって感じていただけたなら嬉しい限りです。
この時期には、関連行事として「五条若宮陶器祭」も開かれています。大正時代、六道まいりに訪れる参拝客に向けて五条坂の陶器商がB級・C級品を道端で売り出したのが始まりとされ、戦後に「陶器神社」と呼ばれるようになった若宮八幡宮が祭の中心となりました。コロナ禍で一度途切れたものの、現在は若い世代に主催者が代わり、今年で3回目を迎えています。
私が幼いころに通った陶器市とくらべると、やや小規模な印象ですが、若手作陶家のエネルギーがあふれる場となり、新しい陶器祭の姿を感じさせてくれました。六道まいりと陶器祭、二つの行事を合わせて見ることで、京都のお盆が「信仰」と「暮らし」の両面から成り立っていることを実感しました。
今回のウォークを通じて、参加者の方々には「京都のお盆を迎える営み」をただ眺めるのではなく、実際に体験していただけました。六道まいりは、町衆の暮らしの中に息づき、代々受け継がれてきた行事です。祖霊を改めて冥土に送り返す五山送り火と同じく、この体験を通じて人々は先祖を思い、自分自身の存在意義や生き方を振り返ってたのではないでしょうか。雨中の開催ではありましたが、その静けさがかえって雰囲気を引き立て、心に残るひとときになったように思います。
来年以降も、多くの方々に六道まいりの意義を知り、体感していただきたいと願っています。京都の夏の行事は単なる観光資源ではなく、暮らしと信仰の延長にある無形文化財です。その現場に身を置くことで、皆さんの心にも特別な気づきが生まれればと考えています。
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