【祇園祭・前祭/後祭2025】氏子と行く山鉾町宵山そぞろ歩きを終えて

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船鉾と長江家住宅

八坂神社境内の疫神社。
西楼門から上がった正面にある小さなお社です。
ここで7/31に行われた夏越祭をもって、ひと月にわたる長〜い祭礼、祇園祭が無事終わりました。
弊社でも、祇園祭前祭・後祭それぞれ3日間の宵山期間に山鉾町を巡るまち歩きを、昨年に続き催行。計約70名の方々にご参加いただきました。
今年は人出もまだ少ない日中に開催し、各山の会所飾り見学に重点を置き、御神体や懸装品を間近でじっくりと堪能してもらい、終了後夕方から各々で山鉾町をぶらぶら巡っていただこうとの趣向でした。覚悟はしてましたが、連日の体温超えの暑さは想像以上。ゲリラ豪雨にも1日見舞われましたが、ご参加いただきました皆さん、本当にありがとうございました。

生まれ育った地域の祭礼がたまたま祇園祭で、ずっと八坂神社の氏子区域に暮らしている──ただそれだけの理由で、祇園祭をよく分かった気になっていました。
京都市の観光政策もあり、1966年に前祭に一本化されていた後祭が、元の形に戻ったのが2014年。
「あれ?そもそも山鉾巡行って、なんのためにやってるんやろ?」
その自問自答以来、八坂神社氏子として覚醒(?)した私は、貪るように祇園社関連書籍を読み漁るようになりました。朝日新聞社時代には、ご縁あって鷹山の復帰支援シンポジウムなんかもやらせていただきました。思い知らされたのは、いかに祇園祭について何も理解していなかったかということ。

<謙虚な姿勢で歴史に向き合い、価値観の変遷や信仰の蓄積を正しく理解すること>
維持継承が難しくなっている様々な有形・無形文化財や民俗文化財などに向き合ううえで、この部分は本当に大切にしたいと思います。
祇園祭の山鉾においても、幕末の蛤御門の大火による被災から、明治政府による神仏分離政策、明治天皇の東京行幸など激動の時代を経て、160年かかってようやく元の形に近づいたということです。
お一人でも多く、正しく祇園祭を理解してもらいたい。そんな大それた思いに至ったのがこの企画のきっかけですが、まだまだ勉強せんとアカンことばかりです。謙虚にもっと学ぶことは、日本三大祭りとなったこの祭礼を今日に継承してきた、名もなき先人たちへの礼儀でもあります。

回答に窮するお客様からの何気ないご質問が、また私の成長につながります。
自分自身もよりレベルアップし、来年も喜んでいただけるよう準備を始めていきたいと思います。

前祭ギャラリー

後祭ギャラリー

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