【終了報告】「四条通の寺社•旧跡と祇園社/祇園感神院の痕跡めぐり」〜八坂神社での不思議な出会い

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「京都非公開文化財特別公開」の会場である八坂神社のご神宝拝観をセットにしたまち歩きを11/22~23の両日実施しました。
題して「四条通の寺社•旧跡と祇園社/祇園感神院の痕跡めぐり」。
明治初めの神仏分離で、神社から仏教色が一掃される中、もっともその影響を受けた神社のひとつとされる八坂神社の、幕末までの古(いにしえ)の姿を辿ってみようという、フィールドワークでもありました。
生まれてこのかた、ずっと八坂神社の氏子圏に、氏子として暮らしていることも、この企画実施の動機でした。

紙幅の都合でごく簡単に書きますと、神仏分離政策の影響で
①祇園社/感神院→八坂神社と名称変更
②主祭神3座が牛頭天王→素戔嗚尊(スサノオノミコト)、婆利采女→櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八王子→八柱御子神に
③本殿南の石鳥居にあった「感神院」の額は外され、鐘楼や本地仏である薬師如来像などといった仏教色は軒並み撤去
といった形で、長く続いた神仏習合時代に比叡山延暦寺の「末寺」だった痕跡は悉く失われたわけですね。

しかし、境内をくまなく探すと、旧名「祇園社」の銘が綺麗に残っている石灯篭が結構あります。一方で、正門にあたる南楼門前や、本殿北側のご神体が鎮座されるすぐ近くの灯籠など、目立つ場所のものには「祇園社」が削り取られたものも。おそらく明治新政府への忖度もしくは過剰反応だったのでしょうか。そうした痕跡は、価値観が大きく変貌した時期の混乱ぶりをいまに示す、貴重な文化遺産ともいえ、参加者の皆さんと実際に見て回り、興味深くご覧いただけたかと思います。

さて、「不思議な出会い」とサブタイトルに挙げながら、前振りが長くなりました。
今回「京都非公開文化財特別公開」の会場として、同社常磐殿にてご神宝が公開されました。その中に、祇園祭の神輿渡御の際に神輿前に置かれていた一対の龍の燭台(?)が、箱と一緒に展示されていました。
明治時代の後期に奉納されたもので、何気なく見ていると、箱に書かれた奉納者の住所と名前に見覚えが!

なんと、私の祖父・嶋瀬利一郎が高等小学校を出たあと丁稚奉公をしていた「A呉服店」の主人でした。
滋賀県犬上郡豊里村(現在の豊郷町、ヴォーリズ設計の旧豊郷小学校校舎がアニメ「けいおん」の聖地として有名)出身の祖父は、隣家が伊藤忠商事・丸紅の初代・二代目伊藤忠兵衛父子だったせいか、近江商人への誇りが非常に強い人物でした。
また、異常な筆マメで、和紙で綴られた帳面に、たくさんの記録を残しています。
中でも、暖簾分けを許されたA家については相当な恩義を感じていたようで「主家の恩顧を忘れず、子孫代々A家に何かあったら馳せ参じて尽くせ」みたいな家訓か遺言みたいなことが至るところに書かれていました。
烏丸佛光寺にあったA呉服店は、明治末の烏丸通拡幅の時でしょうか、東洞院高辻に移転し、後にYという株式会社になるもおそらく倒産(廃業?)され、現在はホテル日航プリンセス京都が建っています。

「祖父も無茶ゆうなあ。戦国武将か」と思いつつ、A家がいまどこでどうされているのか、実は気にしていたのです。
しかし、Y社がなくなったあとはその消息が掴めず、ずっとモヤモヤしていたところに今回の八坂神社ご神宝でA家に出会った次第。不思議なご縁に本当に驚きました。

これは八坂神社の神様と祖父から、何らかのメッセージかもしれん──本腰入れてA家の消息を調べていこうかなと思っています。

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