8/25(日)は我が町内会の地蔵盆。
石仏の大日如来と木彫りの地蔵菩薩2体を、永代供養をお願いして地蔵堂ごと預けている、ひと筋東の寺町通高辻下ル浄国寺からお連れし、町内に設えた地蔵盆1日限りの祭壇にお祀りします。
さて、京都・四条烏丸の西南ブロックに生まれ育った私が、同じく東南ブロックである現在地に引っ越して、まもなく四半世紀。もともと住んでいた町内は、壬生寺にお地蔵さんを預けてしまい、地蔵堂も当然無く、地蔵盆では子どもにお菓子が配られるだけでハイ終了!
子どもにとっては寂しい話で、賑やかに催される近隣町内の地蔵盆が羨ましくて羨ましくて堪りませんでした。
そのせいか、地蔵盆をきっちり催行するいまの町内に来て本当に嬉しく、運営には毎年最大限協力していますが、
実は、一生懸命地蔵盆に向き合うのには、もう一つ理由があります。
祖父の代からずっと借家だった実家は、大家と買取交渉するも売ってもらえず、京都の中心部で物件を探すことに。
そのとき、すごく気になった土地がありました。
色褪せた「売却中」の看板と、何人の侵入も拒むように赤茶けた古いチェーンが道路に面してかかる、使われていないガレージ。割れたアスファルトからはペンペン草が生え、その前にポツンと地蔵堂が。
元々あった町家だけを取り壊し、併設の地蔵堂のみ手付かずで残った。そのせいでガレージとしては土地の有効活用がしにくく、売れ残って”塩漬け”に──素人が見ても簡単に想像できるその土地は、予算が合わず、ただ眺めているだけでした。
よく歴史上の人物に「夢告」、つまり夢のお告げの話が出てきますね。
お地蔵さんが夢に出てきたわけでは無いのですが、寂しげに建つ地蔵堂がものすごく気になり「どこかエエとこへ移らはるとエエのに」「その移転費用も土地代と別に購入者負担か。そりゃなかなか売れへんわなあ」──物件探しで京都に来るたびにそこを訪れ、売れていないことを確認して安堵するということが続きました。
そして散々悩んだ挙句、一筋の光明が差したような閃きが。
「なにも他所へ移すことないやん。地蔵堂ごと面倒見よう!子どももまだ小さいし、護ってもらえるはずや」
すぐにその旨不動産会社に連絡すると、なんと地蔵堂を撤去し近所の浄国寺で永代供養、跡地に建売の家を作ると決定したとのこと。慌てて現場に行くと、地蔵堂はすでに無く、土地の醸成工事が始まろうとしていました。
祠は無くなったけど、これもお地蔵さんのお導き。エイヤと思い切って土地だけ購入した、というのがいまの住まいです。
こんな経緯があり、お地蔵さんに対して「もう少し決心が早ければ町内に残れはったのに」という申し訳ない気持ちが拭えず、地蔵盆のたびにお寺から町内にお連れし、またお寺へお戻しする仕事に率先して手を挙げ、以来私の役目となっています。
なお、町内の人たちからは「嶋瀬がお地蔵さんを撤去した」と誤解されていたようです。まあ、無理もない話ですね。
お地蔵さんを旧地に残したかったという私の思いと正反対の話で、それを町内会に理解してもらうには少し時間がかかりましたが、地蔵盆に一生懸命向き合うことが、確実にその一助になったと思います。他所から来た私が町内に早期に溶け込むきっかけにもなりました。まさにお地蔵さんのご縁!
明治の初め、非科学的な因習・迷信とされ、地蔵堂やお地蔵さんの破却、地蔵信仰の廃止が京都府令として出されます。その後、明治中期ごろから自然発生的に地蔵信仰が復活し現在に至ると見られますが、多くの地蔵や石仏がお寺に持ち込まれたり、打ち捨てられたりしたとか。
「ウチの町内の大日如来さんはな、明治のはじめに鴨川の河原に捨てられてあった石仏を、町内の人が哀れに思うて持ち帰ったもんや」
「お地蔵さんは木彫りの見事なもんやったんやけど、昭和40年代に盗まれてしもた。その時、泥棒がなぜか代わりに見すぼらしい小さな木彫り地蔵を置いていきよった。犯行ごまかすためか、贖罪のつもりかわからんけども『これもご縁や』とそのままお祀りしてるんや」
綺麗に飾れられた祭壇に安置された大日さんとお地蔵さん。
町内の古老から聞いたこんな昔話からすれば、いまは穏やかに過ごしてもらえてるのかな、なんて思ったりも。
ちなみに石仏の大日さんは非常に重く(20㌕くらい?)、鴨川から運んでくるのは一苦労やったと思います。
2014(平成26)年に京都市が市内の自治会・町内会6,627件に対して行った「地蔵盆に関するアンケート調査」(有効回収率55.6%)では「お地蔵さんがある」ところが71.4%、「地蔵盆を行なった」が78.8%となりました。
推計4,700ほどのお地蔵さんがある計算で、我が町内のエピソードと同様、それぞれのお地蔵さんに、知られざるドラマがあることでしょうね。
そういう伝承も、信仰とともに継承すべき大切な文化財かなと思います。
浄国寺ご住職の読経にあわせての大数珠回し、ビンゴ大会などのゲームが済めば、もうお飾りの撤収時間に。
片付けが終わると、そのあとは夕方まで猛烈なゲリラ雷雨が。1年に1日、わずか数時間だけ町内に戻ってこられる大日さんとお地蔵さんの涙雨?
雨が止み、少し蒸し暑さがマシになった夜、都会の真ん中でも静かに鳴き始める秋の虫たち。
地蔵盆で京都のお盆、そして夏も終了です。
高温化で夏が異常に長期間し、秋が一瞬で過ぎ去るなど、実態とはズレてきていますが、伝統行事で四季の移ろいを感じられるのも日本ならでは。大切に継承していきたい無形文化遺産です。
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