【祇園祭2024】神幸祭終了〜御神体、無事御旅所へ

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神幸祭で御旅所に向かう中御座神輿

7/1から、ひと月にわたる長いお祭り、祇園祭。
7/17午前に23基が参加した前祭山鉾巡行では、鶏鉾の車輪が故障し途中で引き返すという残念なアクシデントもありましたが、なんとか無事に22基が絢爛豪華な姿を多くの人々に披露しました。
同日夜には、八坂神社から3座の御神体が四条寺町の御旅所にそれぞれの御神輿で遷られる神幸祭を終え、前半が終わった格好です。

さて、疫病退散を祈り869(貞観11)年に「祇園御霊会」として始まったとされる祇園祭ですが、祭礼としてのメイン行事は主祭神・素戔嗚尊(スサノオノミコト)とその妻・櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、8人の御子である八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)の神輿渡御です。


現在、祇園祭のクライマックスともいわれる山鉾巡行は、疫病等の災厄をもたらす疫神を鎮めるため、依り代(よりしろ)として鉾や山を作り、町中を回ったものと考えられ、14世紀ごろに現在のような形態になったとみられます。
というわけで、ものすごく大雑把な表現ですが、御神体が3座の神輿で御旅所へお出ましになる(=神幸祭)前に氏子地域を祓い清めるのが前祭山鉾巡行、本社へお戻りになる(=還幸祭)前に、同様に祓い清めるのが後祭山鉾巡行ということになります。
しかし、京都市の観光政策によって、1966(昭和41)年に後祭を前祭に統合してしまい、全山鉾を7/17に一気に巡行する形になったことで、前祭・後祭とそれぞれの山鉾巡行の位置付けが、一層理解しづらくなったと思います。

これでは、祇園祭として神事の本来の意味合いをなさないのではないか──長くこういった批判の声が強く、大船鉾が150年ぶりに巡行復帰した2014(平成26)年に、後祭が49年ぶりに分離開催され、旧来の形式に復したわけです。

さて、これを書いているのは7/18(木)の昼下がり。
後祭の宵々山(7/22)、宵山(7/23)でもお客様とのまち歩きイベントが待っています。
少しでも祇園祭の本来の意味合いを理解してもらい、祭礼としての魅力をお伝えできるよう、頑張ってきます。

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