開催を迷った「【京都下京】新春・神社仏閣ウォーク」
![因幡堂平等寺](https://i0.wp.com/heritagehub-kyoto.com/wp-content/uploads/2024/01/%E5%9B%A0%E5%B9%A1%E5%A0%82%E5%B9%B3%E7%AD%89%E5%AF%BA-1024x768.jpg?ssl=1)
![佛光寺](https://i1.wp.com/heritagehub-kyoto.com/wp-content/uploads/2024/01/%E4%BD%9B%E5%85%89%E5%AF%BA-1024x768.jpg?ssl=1)
![菅大臣神社](https://i0.wp.com/heritagehub-kyoto.com/wp-content/uploads/2024/01/IMG_8315-768x1024.jpg?ssl=1)
![東洞院高辻](https://i2.wp.com/heritagehub-kyoto.com/wp-content/uploads/2024/01/%E6%9D%B1%E6%B4%9E%E9%99%A2%E9%AB%98%E8%BE%BB-1024x768.jpg?ssl=1)
![亀山稲荷](https://i2.wp.com/heritagehub-kyoto.com/wp-content/uploads/2024/01/%E4%BA%80%E5%B1%B1%E7%A8%B2%E8%8D%B71-1024x768.jpg?ssl=1)
令和6年元日、能登半島を中心に最大震度7の大地震が起こりました。
地震発生時、私は、1/3,4,6と開催予定の表記イベントの資料作成をしているところでした。
京都でもかなり長く横揺れが続き、これは尋常ではないとTVをつけ、リアルタイムで少しずつ届けられる被害のニュースに言葉もありませんでした。
京都旧市街・下京の中心部、現在では京都有数のオフィス街・四条烏丸の南側に点在する古社寺や歴史上の人物ゆかりの旧跡。
平安時代から紡がれた重層的な歴史の痕跡がそこにはあります。
近世以降は天明の大火(1788年)、禁門の変での大火(1864年)で焼け野原となり、その間には、愛宕山付近が震源とみられる直下型の文政京都地震(1830年)が発生しています。
そうした災害を乗り越えて都度復活し、京の町衆が大切に継承・護持してきた文化財は、市内中心部の地価高騰などで人口減が加速し、保存が危ぶまれています。
新春を寿ぎながら、のんびりと町中を巡り「こんなとこにこんな文化財・文化遺産があるのか」と、一人でも多くの人に、まずはその存在を知ってもらう。そして、大火や地震などの災害史も案内し、文化財の防災にも関心を持ってもらうことが重要なテーマでしたが、能登半島地震により、現在進行形で苦しまれている方が多くいらっしゃる中で、そのまま実施していいのかと大変迷いました。
京都以外の遠方からお申し込みの方も多く、急な中止はご迷惑をおかけすること、また、10数箇所の神社仏閣で被災地の安寧を祈ることもできると思い、予定通り開催しました。
ご参加いただいた皆さんに、開催までの葛藤や思いをお話ししたところ、行く先々で静かにお祈りしていただけたのが印象的でした。
いまなお被害の全容がわからないという未曾有の災害で、僅かながらの募金と、祈ることしかできませんが、亡くなられた多くの方々にお悔やみを申し上げるとともに、本当に一日も早く被災地に日常が戻るよう、心から祈っています。